新聞予想の見方
近頃では都下の大新聞で勝馬予想を掲げない所は殆んどないと云つてもよい。そこで競馬に初歩の人は馬券を買ふに当つては当然これ等の勝馬予想を参考にするであらう。新聞を参考にすると云ふことは決して無意味なことではない、と云ふよりも寧ろこれは初歩の人にはすすめたき事の一つでさへあつて、予想担当の競馬記者はそれぞれの方法と努力とを以て適中率のよい勝馬予想を書かうと心がけてゐるのだ。決して無責任に出鱈目な馬の名前を羅列してゐるのではない。若しも初歩の人が良きコーチを持たず、新聞などの勝馬予想をも参考にするのでないとしたならば、全く可い加減な感じだけで、大した拠りどころもなく馬券を買ふといふ事になる。それでは一枚廿円の馬券に対しては余りに無謀であり冒険である、即ち新聞予想を或る程度まで尊重し、参考にするといふことは特に初歩の人には極めて必要のことである。
しかし一口に新聞予想といつても、担当記者の性格なり、信念なり、勝馬探求に於ける研究方法の相当なりによつて、同じく合理性の追究から出発するとしても、予想に挙げる馬の名前は必らずしも一様にはいかない。甲の新聞では殆んど問題にもしてゐないやうな馬を、乙の新聞では第一位に推してゐると云ふやうな例も大して珍らしくはない。同じ合理性の追究から出発しながら、結果に於いてそれ程の差違を生ずると云ふことに、一見奇異の感を抱く人もあるかも知れないが、そこが競馬の難しい所であり、馬券の複雑極まりないところである。
だから時には各新聞で第一位に挙げてゐる馬が殆んど全部違つてゐるやうな事もあり、たつた一つだけの新聞がAといふ馬を一位に推し、他の新聞は悉くBと云ふ馬を一位に挙げてゐるやうな際に、レースの結果は俄然その一つだけの新聞で予想してゐたAが一着するといふやうなこともある。
かうなると同じく新聞予想を参考にすると云つても、それ等の予想に対して殆んど何等の批判力も持たない初歩の人は、それならどの予想に信頼すればよいのか大いに迷はざるを得なくなる。甲の新聞ではAを挙げ、乙の新聞ではBを挙げ、丙の新聞ではCを推してゐる。さういふ際に総ての新聞の予想を読むとすれば、Aを買ふべきか、Bを買ふべきか、或ひはCを買ふべきか、徒らに眼移りして、その撰定に苦しむことにならう。こんな事で苦しむことになれば、結果はただ迷ひだけを多くするために多くの新聞予想を読んだだけのことにしかならなくなる。迷ひを少なくするために新聞予想を読むのが、却つて迷ひを多くする結果になるのだとしたらこんな莫迦々々しいことはない。 そこで初歩の人が新聞予想を見るなら、総ての新聞に眼を通すと云ふことは止めた方がいい。殊に六大新聞予想比較表などと銘打つた印刷物に余り興味を持つ事は賛成できない。新聞によつて予想の書き方の形式は違ふが、註釈入りの予想などだとすると、その註釈を読めばその新聞の第一位の馬が必らずしも有力でないと云ふ事を感得できる場合もある。それは予想記者の逃げ言葉であるとしても、例へばあるレースに際して茲はABCの三馬ながら優劣をつけ難い所で、ただ前の着順だけに基づいてAを一位に挙げはしたものの、買ふならBが狙ひ所であらう、といつたやうな註釈が入つてゐたとすれば、その予想記者の気のある馬は実はBと云ふ馬の方であることがわかる。それが馬名だけをずらずら並べた予想比較表と云つたものでは、予想者のそんな気持は推察もできず、時には予想者に対して気の毒なやうな場合さへもないではない。
と云つたわけで、初歩の人が新聞予想を読むのは前述の如く結構なことではあるが、それは総ての新聞を読むと云ふのでなく、各新聞のどれでもいいからただ一種に限定することが肝要である。どれでもいいからと云ふのでは諸君は何か頼りないやうな気がするかも知れない。しかし実際の所現在の各新聞の勝馬予想の優劣を決定することは極めて困難である。
仮りに一季間か二季間ぐらゐの適中率がよかつたとしても、今後も尚ほその適中率の各新聞中に於ける第一位を保持することができるかどうか疑問であり、十一レース中の幾レース適中と云つた適中率に於いては幾分劣ることがあるとしても、その適中した勝馬が他の新聞予想の適中勝馬よりも好配当が多いとしたならば、適中率は兎も角儲かつた点ではその新聞が第一と云ふことにもなる。さうかと思ふと第一位に挙げた馬の単勝式適中は幾つもなかつたが複勝式でなら殆んど大抵当つてゐると云ふやうな場合もある。つまり甲の新聞の予想の第一位を単勝式で買ひ通せば、外づれた馬も相当に多いが適中した勝馬の配当が多かつたために儲けとなり、複勝式では損と云ふ結果も起り得る。これに反して同じ日の乙の新聞の予想の第一位を単勝式で買ひ通せば大分の損となるが、複勝式で買ひ通せば僅かに一鞍ぐらゐが外づれただけで相当の儲けになるといふこともある。即ちこの甲乙の新聞予想の優劣のつけ方は、単勝式複勝式の限定を加へない限り全く不可能の事とは云はなくてはならない。
各新聞予想の大体の傾向、長所短所を指摘することはさして難しいわけでもないが、いづれにしても予想その物としての優劣は決定し難い。ある新聞予想は比較的本命主義であり、ある新聞予想はともすると人気馬を嫌ふ傾向を示す。しかしそれは単に傾向だけに過ぎないことで、特に初歩の人にはその新聞がよからうといふ程の自信を以てすすめ得るものはなささうだ。そこで新聞予想はどれでもいいから一種に限定せよと云ふのだ。
そして最初のうちはその予想を参考に、レースの経過を観察し、その結果に示される実際の勝馬と入着馬とその他の馬とを、予想に挙げられた各馬と比較対照することを一種の勉強の如く心懸けた方がいい。勉強と云ふと語弊があるが、競馬で勉強することはとりもなほさず道を楽しむことになるのだから、それ程努力的なものではない筈である。
かうした予想とレースとの対照は次第に予想の利用法を自ら諸君に会得させることになるであらう。そして少なくもレースの半ば以上に於いては、予想に第一位、対抗馬、穴と云ふ風な順に挙げられてゐる各馬の実力が、実際は1、2、3と云ふ風な、それ程の懸隔を持つものではなく、殆んど力量互角とさへ見てよいのではないかと云ふ場合の多いことにも気づくやうになるであらう。
云ふ迄もなく予想は鵜呑みに信頼すべきものではない。これは批判的に参考にすべきものである。従つて初歩の間はやむを得ないとしても、なるべく速やかに新聞予想を批判的に見られるぐらゐの気持になるやうに心懸けられたい。